徒然記弐

縁とはいったい何なのか?

年の瀬となりました。早いものですね。
令和5年は毎月の護摩供で「因」「縁」「果」について、また「縁」とはいったい何なのか?ということを年間を通して話しました。12月の護摩供で終わりとしてまとめました。

この世の事象の全ては縁によって生じ、縁によって滅びます。
雨の降るのも、風の吹くのも、葉の散るのも縁があるからそうなるわけです。

私はしばしばこの縁を条件(必然的な条件)と解釈して説明しています。

この身は父母を縁として生まれ、食物によって維持され、また、この心も経験と知識によって育ったものである。だからこの身もこの心も縁によって成り立ち縁によって変わるといわなければならない。花は咲く縁が集まって咲き、葉は散る縁が集まって散る。ひとり咲きひとり散るのではない。

全ての事象に縁が関わっています。縁を無くしては何も起こらないと仏教では説きます。
唯一神や絶対神が存在し神によって定められるわけではありません。

「風が吹けば桶屋が儲かる」
というのはさまざまな縁によってその結果、桶屋が儲かるというオチにつながっていきます。
つまり、全ての出来事に縁が関わっているのであれば、良い縁(条件)となるような選択をして生きていけばよい、ということになります。良い縁とはより功徳を積める道、より人のためとなる道を選ぶということで、決して私利私欲のための道ではありません。

もし、縁から切り離されたい、縁とは無関係に生きたい! と願うのであれば、輪廻の輪から抜け出して、悟りを得ればよいでしょう。そうすれば、生も死も超越し、あらゆるこの世の道理から外れることになりますので、悟りを得れば、縁なき永遠の境地に住することができます。私はこの輪廻の中でもがき苦しんで生きていきます(笑)

まとめ
一年を振り返りまして、沢山の人との出会い(ご縁)を頂きました。不思議なものですね。
来年も良き縁を育んでいけるように精進いたします。
関わる全ての方々が善き年になりますよう心よりお祈り申し上げます。
令和五年師走記


目に見えるものも、見えないものも、遠くに住むものも、近くに住むものも、
すでに生まれたものも、生まれようと望むものも、すべてのものは、安楽であれ
スッタニパータ一四八

インド神話と世界情勢
僧侶や仏教のお勉強をされる方はインド神話をその中でも「マハーバーラタ」は必読書だと思っています。
マハーバーラタとは1つの物語ではなく、多くの神話の集まりで余りにも膨大なので全てを読んではいませんが、それでも訳本をいくつか所持しています。「ナラ王物語」「サーヴィトリー物語」などが人気です。ヒンドゥー教徒が日夜唱えている「バガヴァット・ギーター」も含まれます。マハーバーラタを含むインド神話はかなり仏教に影響を与えています。

仏教の器界観(世界観)はこれらをなくしては語れません。

インド神話ではデーヴァ軍とアスラ軍との争いの場面が人気です。前半はデーヴァ軍のリーダー、インドラ(帝釈天)の活躍が描かれ、やがてはさらに力をもった神が現れてきます。神話の一つである「ラーマーヤナ」ではインドラジットつまりインドラに勝利したものが現れたり、神話の後半ではスカンダ(韋駄天)というより力の強い神が出現します。スカンダの強さたるや別次元でインドラが全く歯が立たなかったなんて話もあります。
「毘沙門天」で調べますと「ベイシラヴァナ、八大夜叉の主、羅刹を眷属にしている」などといった表記がでます。神話を読み解きますと、どのように夜叉や羅刹を従えたのか、なぜランカー山に住するのか、などが描かれています。ベイシラヴァナの活躍の話や、おっちょこちょいで敵にやられてしまう話(悲しいのですが)などもあります。
インド神話と日本密教とでは立場が違ったり、妃や眷属が異なったりといった相違点も見えてきます。
胎蔵界曼荼羅にはインドの神々が神話の姿のまま取り込まれているのも興味深いところです。
近頃、新しい訳本を手に入れましたのでまた読み進めていこうと思います。


神話の中では恐ろしい力と兵器を持つ神々が争いを起こすので何度も世界が破壊されています。

そして、現在、地球の各地で争いが起きています。

それぞれが自分の正義という立場のもとで行動を起こしているのでしょうが、無力な一般民が危険にさらされ、多くの一般民の命が失われています。文明が進み、神話に出てくるようなお伽噺が現実になりつつあります。
世界を破滅できるほどの恐ろしい兵器を作り上げている中での武力行使は、何より恐ろしく何より愚かな行動です。人間はいつから偉くなったのでしょう。地球の支配者にでもなったのでしょうか。

人間は他の種族との戦いに勝つために、人間同士の戦いに勝つために、より力を求めてきました。神という存在を必要とし神の力を欲し思想が生まれ哲学が生まれそれがやがて「宗教」「科学」として発展をしていきました。ついには科学の発展により世界を破壊できるほどの大いなる力が手に入るようになりました。この先どこへ向かうのでしょう。破壊ではなくて守るために使って欲しいと願っています。

犠牲になった方々へ哀悼の意を表しまた冥福を心よりお祈りいたします。
令和五年十月記
菩提樹の数珠

数珠(じゅず)または念珠(ねんじゅ)という呼び方をします。
文字通りお経や真言の数を数えるための持ち物です。

こちらは金剛菩提樹にメノウの石が入ったもので、住職晋山記念として、お世話になっている数珠屋さまから頂きました。早速今月の護摩供にて使用いたしました。感謝申し上げます。

ぼちぼちとお盆参りが始まりました。
バイクのエンジンが不調ですが馳せ参じますのでよろしくお願いいたします。
また、あわせてお盆の法要に向けて塔婆と水子供養札を書いています。法要へご参加下さる方はどうぞお気をつけてお越しくださいませ。お待ちしております。
令和五年八月記
POST CARD 第三段作成中
新たにチベットタンカを奉納いただきました。
今回はついにベイシラマナ毘沙門天さまを描いてくれました。吉祥天さま善膩師童子さま、当院のお地蔵さまなどが描かれています。つい手を合わせてしまいます。
また、それに伴いまして毘沙門天さまのPOSTCARDを作成中です。
お披露目はもう少し先になります。お楽しみにどうぞ。
平日でもお写経が可能です
高野山と京都の旅を終えて帰り着いた翌日に2名の方からお写経のご参加をいただきました。
ありがとうございました。(掲載許可をいただいております)
「第三日曜のお写経会には来られないけど写経をしてみたい」という方はお電話などでご希望日時をお申し出くだされば私が居る時は対応いたします。どうぞお申し出くださいませ。
令和五年五月二十五日記